毒親|自殺未遂を繰り返していた10代の頃

毒親なんて言葉を知らず、親を信じていた時期がありました。
起こる出来事全てが「自分が悪い」と思い込んで、何度も「死」を選ぼうとしました。

それでも、私は今、生きています。

 

 

 

一番最初に「死」を考えたのは、小学2年生の時

 

毒親育ちの特徴として、私も例に漏れず、幼少期の記憶がほとんどないのです。
しかし、この時のことだけ覚えています。

当時住んでいた場所で、「ここから落ちたら死ねるかな・・・」とぼんやり窓の外を眺めながら考えていました。
 
小学2年生が考えることではない。と大人になった今思います。
しかし、幼かった私の心は死んでいました。

死んでも誰も悲しまないんだろうな。
どうせ誰も助けてくれないんだろうな。

小学生とは思えないほどネガティブなことを考えていました。
飛び降りる勇気などなく、突然暴力的になる父親や、私を盾にしてくる母親に怯えながら暮らしていました。

 

 

居場所がなかった学生の頃

  

・小学生時代

歳をとってくるに連れて、「自分の親、なんだかおかしい」と思うようになりました。
しかし、友達に「親がおかしい」ことを話しても、当然理解なんてされませんでした。

「親なんだから、悪くいうな」
「自分が悪いんじゃないの?」

と取り合ってもらえず、誰も信じられませんでした。

「親に感謝の気持ちを持ちましょう」
と学校では押し付けられ、「お手伝い」を宿題にし、親はこれ見よがしに家事を押し付けてきました。

父親は「女だからやれ」と
母親は「お手伝いは◯◯ちゃんの仕事」と

子供ながらに違和感を覚えました。
母親から家事を教わった覚えはありません。
「押し付けられている」と感じました。
しかし言い返すような言葉も持ち合わせていませんでした。

家事を行うと、母親は異常なくらい褒めてきました。
テストの点数や学校のお勉強には何も言われませんが、家事を行うことだけは驚くほど褒めてくるんです。

幼い頃から褒められたことがほとんどなかったので、褒められると嬉しかったです。
「私の仕事はみんなのご飯を作ること」と私自身も勘違いしそうでした。

ですが、心の奥底に、言葉にできない違和感は残ったままでした。

 

・中学校時代

この頃になると、わたしも女性なので体が女性的になってきます。
「お金がない」と免罪符のように言いながら我慢ばかり強いる親。
その言葉にも違和感を覚えるようになりました。

「お金がないんじゃない。働きたくないんだ」
そう思いました。

中学生になると、お風呂を覗かれることが多くなりました。

普通に嫌でした。
偶然を装って脱衣所に入ってくるんです。
母親も父親も。
それはもう確信犯でした。

当時家が狭く、脱衣所とトイレ、洗濯置き場が同じ場所にありました。
母親は洗濯物を確認するフリをして入ってきました。
父親はトイレに行くフリをして入ってきました。

はちあってしまって裸を見ると、母親は「おっぱい大きくなったネェ」とわざと大きな声でいい、父親はニヤニヤしていました。

とても、とても嫌だった。

友達に相談できないし、親に「やめて」とも言えなかった。
親を否定したり注意すると余計にひどいことをされるのはわかっていたから。

対策として、お風呂場に着替えを持って行って、お風呂場内で更衣をするようになりました。
衣類は濡れてしまいますが、親に裸を見られる方が嫌だった。

そうすると、母親は「え?着替えて出てくるの?」と驚いて、父親も「なんだ、着てるのか」と残念がっていました。
親は、わたしのことをなんだと思っているのでしょう。

 

親はわたしを精神的に追い詰めることで、自分たちの精神安定をはかっていました。
わたしは被害者です。

誰にも相談できなかった。
万が一自分にもしものことがあった時、一番に相談するのは親であるはずです。
その親に何も言えなかった。

 

・高校生時代

もっと大きくなった高校生の頃、友達に母親が食事を作らないことを話すと、

「忙しいの? じゃああんたがやらなきゃいけないんじゃない?」
「大変だね」


と興味なさげに言われました。
ちなみに、この友達たちは自分で食事は作っていません。お母さんが全てやってくれます。

 
私が自分でお弁当を作ってくると、

「冷凍食品ばかりじゃん」

自分では全く作らないくせにそんな風に言われました。
普通にムカつきました。

  

この頃、自分の味方をしてくれる人はいませんでした。

学校では批判され、家では心の暴力に怯え、心の休まる場所はありませんでした。
部活をやっていたので、唯一その場所では仲間はいました。
しかし、私自身のことに親身になって考えてくれる人はいませんでした。
部活に入り浸っていても迷惑そうにされたり、いるのが辛い時もありました。

透明人間になりたかった。
当時は本気でそう思っていたし、透明人間になれる術があるのならお金を出しそうなほどでした。

  


家にも学校にもいたくなくて、だけど家出少女のように放浪する勇気もなく、自分の居場所を探して仮病を使って病院にばかり行っていました。

いくつも病院を渡り歩いてしまいましたが、ある病院の先生からこっそり精神安定剤を処方されて、とてもショックを受けたのを覚えています。
今思えばこの先生は私のためを思って処方してくれたのですが、当時はショックを受けました。
「病院の先生にまでおかしいって思われている」そう感じました。

 

探していた居場所がどこにも見つからなくて、「この世に私の居場所はない」と思うようになりました。
この時の絶望感と喪失感は半端なかった。

死のうと思って、家にあった薬のほとんどを飲みました。
意識を失ったはずが、気づいたら家で、死ねませんでした。

自転車でわざと左右確認をせずに飛び出しました。
死ねませんでした。

見えない場所を選んでリストカットを繰り返しました。

誰にも言えなかったけど、心の奥底では気づいて欲しかったのかもしれない。

私、すごく傷ついているよ。 

誰にも気付いてもらえなかった。
自分から言ったところでドン引きされたり批判されたりするのは目に見えていたので、黙っていました。
それに自分の言葉は重く受け止めてもらえず流されることが多かったので、言っても無駄だとも思いました。

  

私はただ安心していられる場所が欲しかっただけです。
話を聞いてくれる人や、一緒に笑ってくれる人が欲しかった。

口を開けば馬鹿にされたり批判されたりするので、何も言えなくなりました。

私の心は絶望的で死んでいました。

 

20代を過ぎて、自分で働くようになったら余裕が出てきた

働くようになって、何が何でも家を出ました。
20歳を過ぎて一人暮らしを始めると、精神的にとても楽になりました。

自分で手に入れた自分の居場所に、とても安心しました。

家の隅で心の暴力に怯えてることもない。
親にお風呂を覗かれることもない。
無闇に貶されることもない。
親のために働くこともない。
親の精神安定剤になることもない。

開放感で、少し泣きました。

 

今では自殺など考えない

30歳を少し過ぎてから、親とは完全に縁を切りました。

友達もいないので孤独になりましたが、もともと精神的に孤独だったので、まぁいいかなと。

一緒に笑い合うような友達はやっぱり欲しいので、これから作りたいなって思います。
いい歳なのでできるか分からないけど。

 

やっと自分自身の人生をスタートさせることができました。
そのスタートが30代からというのは遅過ぎるかもしれません。

でも、もう死のうなんて考えません

 

私の生き方は色々言われるかもしれません。
生きていてよかったなんて思いません。
人生、生きにくいですし、辛いです。
最初から生まれてこなければよかった。
アラフォーになってもそう思っています。

 

ただ、自分より若い人たちが親に殺されたり、自殺したり、そんなニュースを見るたびにいたたまれなくなります。

 

私なんかよりもずっと可能性はあるのに。
死ぬことなんてなかったのに。

 

親に感謝なんてできない。
それでも産んでくれた親に感謝した方がいい。とか言う人は私の前から消えてください。
生まれてきて良かったとはとても思えません。

 

 

死ねないから仕方なく生きている。

 

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