「他人に親切にされるのが怖い」という感覚について

「他人に親切にされるのが怖い」という気持ちを理解できますか?

「他人には親切にするのが当たり前」
「他人から親切にされるのは当たり前」
人により感覚は違うと思いますが、何かしらの感覚は持っていると思います。

今回は「他人に親切にされるのが怖い」という感覚。

大抵の人は「親切にされたら嬉しい」と思うところです。

しかし、「他人に親切にされるのが怖い」という感覚もあるのです。

理解できますか?
この感覚。

「他人に親切にされるのが怖い」という感覚

見返りを求められるのではないか?

親切にされたぶん、「見返り」を求められることがありました。
それは、身の丈に合わない見返りでした。

大元は毒親です。
「親切」に当然のように「見返り」を求めるのです。
子供の頃でしたので、毒親の求める「見返り」ができないこともあります。
そうすると、ネチネチと嫌味を言われたり侮辱されたりしました。

後々の報復が怖い

他意なく、「他人に親切にする」ということが誰しもあるかと思います。
「物を取ってあげる」とか、「道を譲ってあげる」とか。

そういった「親切」をわたしも受けたことがあります。
他意のない、ごくシンプルな「親切」

その「わたしが受ける親切」をよく思わない存在がいました。
毒親です。

わたしが親切を受けたのを知ると、嫌味を言ってきたり罵ったりしてきました。

「親切してくれる人」の中には、「親の目の前で」親切にしてくれる人もいました。
当時のわたしは小学生でしたから、「子供に危害を加えているわけではない」アピールや「怪しい者じゃないよ」というアピールのために、親の目の前で親切にしてくれるのです。

しかし毒親持ちのわたしには辛かったです。

毒親はわたしが親切にされること、わたしがチヤホヤされることに異常に嫉妬してきました。
毒父も毒母も同様です。
自分がチヤホヤされて、主人公で、そうじゃないと許さないのです。
子供である小学生のわたしが親切にされたりチヤホヤされることが、毒親には許せなかったのです。

だから、毒親はわたしが「親切にされる」と嫉妬して攻撃してくる。
鬼の形相で睨んだり、無視や、食事抜き。
ひどい時には、親切にしてくれた人の前でわたしのことを罵るということもありました。
親切にしてくれた人はただ驚いた表情をしていました。

そういう「後々の報復」が怖くて、「他人からの親切が怖い」という状況に陥りました。

親切に対して拒否をするようになりました。
拒否された側は、怒ったり冷たくなったりする人もいましたが、大抵は気にしてなさそうでした。
しかし、親切に対しての拒否を続けると、誰もわたしにたいして親切にしてくれなくなりました。

そうすると徐々にわたしの周りから人がいなくなっていくんです。
だけど、後々の毒親の報復よりずっとマシでした。

大人になった今でも、他人からの親切には身構えてしまいます。

元凶は毒親である

「毒親育ち」という人たちにもいろいろあります。
毒親にもタイプがあるからです。

ただ、「毒親育ち」でなければ、「他人に親切にされるのが怖い」という感覚は全く分からないと思います。

分からなくていいんです。

毒親に対して理解されることは諦めています。
多くの人は「目の前の不幸」に耐えられない。

それにそれぞれ他の人からは見えない悲しみや苦しみを持っていることが多いので、他人の苦しみまで寄り添えない。