【コラム】数年間、お正月をひとりぼっちで過ごして感じたこと
筆者は毒親と縁を切り、帰る場所はないのでお正月はここ数年ひとりぼっちです。
2021年はコロナがあり「お正月なのにひとりぼっちだった」という方はいらっしゃるかもしれませんが、「数年間ひとりぼっちでお正月を過ごす」筆者は、めちゃくちゃ孤独です。
「死にたい」と思うこともありましたが、生きていかなきゃならない。
「死にたい」というと「なら死ねば」と冷たく言われることもあるので、なかなか口には出せず、口に出せないから尚更辛くなっていったり。
ちょっと話がそれましたが、お正月のお話です。
数年間ひとりぼっちで過ごし、感じたことをお伝えします。
数年間「お正月をひとりぼっちで過ごして」感じたこと
最初の1〜2年は寂しい
毒親と縁を切り「お正月を1人で過ごす」ことになった1年目。
お正月だからと世間が慌ただしくしている中、自分だけは何の変化もなく普通の暮らし。
物寂しいから街に出かけてみるけど、みんな誰かと一緒にいるし、ひとりぼっちで歩いているのは自分だけで余計寂しさを覚えたり。
家にいてもやることがなくて「お正月なのに……」と虚しくなったり。
理解しあえる友達もいない。
会社の人には「実家に帰った」なんて安心させるための嘘をつき。
実際には1人で孤独。
ひとりぼっちのお正月は慣れないと寂しいだけで、毒親育ちにとっては仲の良い家族は憧れです。
だけど仮に毒親と縁を切らずに実家に帰っていたとしても
「親のエゴのための道具」
「何を言ってもただ無闇に否定されるだけ」
「ちょっとしてくれたことに対して数倍以上の見返りを求める」
「世間体のための道具」
「親戚などの前で大声で私を乏しめる」
「一挙手一投足を監視される」
「親の思い通りにならなければ理不尽に陥れる」
「人格否定」
「親に馬鹿にされ笑われ親のストレス解消にされる」
「親の世話をさせられる」
「都合が悪ければ無視」
「わたしにお金さえ払えば何をしても全て許されると思っている」
etc
うん。
帰っても良いことない。
寂しいけれど、毒親と離れて得た心の平穏があったのは確か。
寂しさ<心の平穏
わたしは孤独を選択し、心の平穏を取りました。
けど慣れる
3年目に入ると慣れてきます。
孤独でもへっちゃら。
スーパーなどお正月は閉店していることも多く、自分も仕事がなければ出かけない。
無理に人(スーパーなどですれ違う赤の他人)に会うこともない。
「ちょっと長い休みに1人でいるだけ」
そんなふうに思えば慣れるとひとりでも平気になりました。
お正月は仕事の人も多いですし、お正月の過ごし方にも多様性が出てきて、ひとりでいてもまぁ、大丈夫。
言いたいことがある人には言わせておけば良い。
味方になってくれない人の言葉など適度にスルーすれば良い。
少しだけメンタルも強くなりました。
2021年はコロナがあり孤独潜伏ができた
「孤独潜伏」とはわたしが作った言葉です笑
「人狼ゲーム」をご存知ですか?
「人狼」や「狂人」が「市民」の中に隠れている時に「潜伏」なんて言葉を使うんです。
そこからヒントを得て、「孤独潜伏」
外出自粛などの影響で、2021年のお正月はどこも空いていました(福袋ガチ勢のわたしから見て空いていました)
話を聞いていると、「お正月はどこにもいかなかった」「家族とも玄関先としか顔を合わせていない」など、ひとりで過ごしている人も結構多かったようです。
わたしと違い家族仲が良くても「お正月をひとりで過ごす」人が多かった。
会社の人に「コロナで実家に帰らなかった」と嘘をついても簡単に納得してもらえました。
ちょっと関係ない話ですが、いつか「お正月を一緒に過ごす」人が現れてくれたらいいな、なんて。
毒親に理解があり、自分の考えを押し付けない人、お待ちしています笑
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