心の娘にケーキを買った日

心の娘にケーキを買った日

わたしの心の中には、娘が1人いる。
仮名で「カナちゃん」と名付けてみる。

カナちゃんは、もともとおとなしい性格で、人の言うことをきちんと聞く良い子だった。

だけど幼い頃から親に無視されてすごしていた。
たまに楽しそうに遊んでは親から馬鹿にされて笑われて、何かを話せば否定されてきた。

そのうちにカナちゃんはしゃべらなくなってしまった。

たまの来客から「おとなしい子だね」と率直な感想をもらい、その度に親は「何もできない子」となぜか笑い話にしていた。

親は、都合の良い時にだけカナちゃんのご機嫌をとり、「お手伝い」をさせた。
そうすると周りの人から褒められたけど、そのあとで親から「調子に乗るな」と怒鳴られる。

カナちゃんは、どうしていいか分からなくなっていた。

親から無視され、馬鹿にされ、否定され、都合よく扱われ、表面上は「良い子」

親は世間体を保つことに必死で、カナちゃんはそのための道具だった。
だけど本当は親はカナちゃんのことはどうでもよくて、自分たち自身の方が大事だった。

それに気づいた時、カナちゃんは生きることを諦めた。

思えば、カナちゃんはごはんもきちんと食べさせてもらえなくて、洋服も真冬でも薄いトレーナーだったり寒々しい格好をさせられていた。
家の中にも居場所はなくて、当然のようにお風呂を覗かれたり着替えを覗かれたりした。

心休める場所が、カナちゃんにはどこにもなかった。

ひもじかったし、惨めだった。
そんなカナちゃんの気持ちを、親はやっぱり無視していた。

カナちゃんは、生きることを諦めた。

 

大人のわたしは、そんなカナちゃんを救い上げた。

居場所はわたしの中にあるよ。
わたしがちゃんと守ってあげるから。

わたしはカナちゃんを半ば強引にわたしの中に住まわせた。
そうじゃないと、わたし自身もひっぱられて死んでしまいそうだったから。

 

今日はひな祭り。
女の子の節句。

わたしはカナちゃんのためにケーキを買った。
わたしの心の中で、たまにカナちゃんは笑ってくれる。

それだけが生きがいだった。

わたしの娘は今日も生きている。