「美しさ」について【コラム】
「美しさ」というのは、外見の美しさだけではありません。
内面の美しさも生きる上では欠かせません。
しかし、内面の美しさが外見に出るのもまた事実。
表情、特に目には内面が現れるのではないかと思っています。
「美」のイメージ
「美」という言葉ひとつにはいろいろなイメージがあります。
「自然」としての美しさ
「アート」としての美しさ
「人間」としての美しさ
「美」について聞かれたとき、あなたなら何を思い浮かべますか?
美しいものが嫌いな人はいないと思っています。
中には病的に美しいものに拒絶反応を示す方がいらっしゃいますが、それはもう病的ですので。
壮大な美しい自然に対して、人は時間もお金も使って「生きているうちに」なんて言いながら自分の目で見に行きますし、画家が命を削って制作した美しいアートは人に感動を与えます。
人間の内面にも外面にも美しさは宿ります。
「美しいものを見なさい」
という教えがあります。
美しいものを見ると、心も美しくなるのだと。
「美」は女性だけのものなのか?
「美」についてを話すとき、とりわけ女性に焦点が当たります。
「美容と健康」なんて女性をターゲットにした商品に使われることが多いです。
しかし、ここで疑問が生じます。
女性だけが「美」なのでしょうか?
男性だって「美」を備えていたっていいとは思いませんか?
内面の美しい男性にだって惹かれるものです。
ただ、どうしても女性の外見に「美」を求めてしまいます。
それはなぜなのでしょう。
巷に溢れている「美容脱毛」「ダイエット」「新作コスメ」など、ほぼほぼ女性向きです。
女性に対して「美しくなれ」と社会全体が威圧的に求めているようにも感じます。
女性への美への脅迫です。
すみません、言いすぎかもしれません。
見た目だけが美しければいいわけではないのに、見た目の美しさが何よりも重視されます。
「見た目」が悪いと陰口を叩かれたりひどいといじめを受けるのが中高生くらいでしょうか。
就職活動でも女性の「見た目」重視の会社もあると聞きます。
いまだに女性を「見た目」で判断する人も多く、女性に「美」を求めます。
女性の立場からすると、年齢を重ねるほど「美」に構っていられなくなります。
生活の変化や体力の衰えで、「美」よりも先にやらなければならないことが多いのです。
それなのに求められる。
外野から、「美しくなりなさい」と。
美しくない女性は害悪だと言わんばかり。
どうして女性にばかり求めるのか。
息苦しくなることがあります。
こんなはずじゃなかった。
もう少し楽に生きたい。
自然体ではいけないのですか?
「美」には時間がかかるのです。
化粧をする時間だって結構かかるもので、忙しくて少し手を抜くと、時と場合によっては陰口を叩かれることもあります。
年齢を重ねていくほど化粧代には時間もお金もかかり、大変なんです。
それとも資本主義だからでしょうか。
「美しくなりなさい」と脅迫し、「これを使えば美しくなれる!」といいのか悪いのか分からないものを宣伝され、最終的には何かを購入する。
もしかしたら、大人の女性で化粧品をひとつも持っていない女性はいないのではないでしょうか。
「美しさ」で気分が上がる
それでも、きれいにしていると気分が上がる、ということはあります。
化粧もそうですが、爪を手入れしていると気分が上がって仕事が捗ったり、美容院に行くと元気が出たり。
自分のための「美」はどんどん取り入れていくべきです。
女性は輝いていた方がいい。
しかし、外野から「美しくなれ」とプレッシャーをかけられるのは違うのではないか、と感じるのです。
もっと簡単にいうと 大きなお世話 です。
周りの評価に惑わされることなく、人は自分らしくいて欲しいと思うのです。
人が美しいと感じるもの
人が「美しい」と感じるものに、「アート」や「写真」があります。
日本で言えば四季折々の風景が特に美しいと感じます。
命をかけて描かれた絵画にも、美しさを超えた迫力があります。
目を向ければ、ささやかなものに「美しさ」を見出すことができます。
朝露や、道端の花。
必死に生きている虫や、夕焼け。
身近なものに、「美しい」と感じることはできるのです。
どうか心に美しさを見失わないよう、生きて欲しいと願うのです。
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